40代サラリーマンの日記

わたくし、40代のサラリーマンの日常を書いています。

アメリカに存在した唯一の皇帝陛下

写真の人物をご存知でしょうか?アメリカ合衆国の歴史の中で、唯一の皇帝だったノートン一世の姿です。南アフリカ生まれのイングランド人、ジョシュア・ノートンは、アメリカで破産して放浪した末に、サンフランシスコの新聞社を訪れ、唐突に皇帝への即位を宣言しました。

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時は1859年9月。南北戦争が始まる少し前です。この即位はジョークとして新聞に掲載され、市民には大いにウケてノートン一世が誕生しました。しかし本人は大まじめでした。

最初の勅令
不穏な時代に敏感に反応した陛下は、新聞社を通じて「合衆国議会解散」の勅令を出します。当然無視されますが、事態を重く見た陛下は陸軍に議会の制圧を命じます。これも無視されました。

陛下と市民
単なるジョークネタのはずが、陛下の人柄に触れた市民が感激して人気が爆発。とりあえず市民の間で、皇帝と認められます。その後、国勢調査の職業欄に「皇帝」と書くと、そのまま処理されたので、公的にも皇帝になりました。

宮殿と臣下
サンフランシスコ市内の古いワンルームアパートを宮殿とし、拾ってきた雑種犬のバマーとラザルスを臣下にしました。この二匹は死後にジンの銘柄になっています。

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公務
臣下の散歩と、市内の視察。視察には自転車も使いました。

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服装
プレシディオ駐屯基地の陸軍将校からもらった軍服を愛用しました。後に服がポロポロになると、サンフランシスコ市議会から新しい服がプレゼントされ、感激した陛下は市議会議員を終身貴族にします。

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御用達店
お金はないものの、誰かの好意で市内の高級レストランで度々食事をする。レストランは「ノートン一世 御用達店」の看板を掲げ、陛下はそれを許可しました。

戦争と陛下
南北戦争が始まると陛下は心を痛め、北軍リンカーンと南軍のデービスに手紙を書き「朕の下で話し合いをするように」と伝えます。リンカーンからは「恐れながら、デービスには会いたくありません」、デービスからは「陛下の御前に着ていく服を持ち合わせておりません」と、返事が来ました。

通貨
陛下は近所の印刷所に頼んで、帝国通貨を印刷してもらい発給しました。市民は喜び、商店で通貨として流通します。また、一部の銀行は皇帝陛下のために、帝国通貨をドルと換金しています。

 

 

不敬罪
鉄道の食堂車で食事をすると、代金の支払いを求められたことに立腹します。陛下が代金を請求されたことを知った市民は憤り、鉄道会社に猛抗議を行いました。驚いた鉄道会社は陛下に無礼を謝罪し、金色の無料パスを献上します。

大逆罪
若い警官がノートン一世を取り押さえ、精神科医に診せようとします。これには市民が猛抗議し、警察署長の謝罪と陛下の寛大な特赦によって収まりました。これ以降、警官は街で陛下を見かけると、敬礼するようになります。

その他の勅令
国際連盟の設立(50年以上経って実現)
・クリスマスは皆で協力して街を装飾する
・街灯の増設
・サンフランシスコとオークランドを繋ぐ橋の建設(50年後に実現)
・サンフランシスコを略して呼ぶのは下品だから禁止
などなど

崩御
1880年、路上に倒れ、息を引き取りました。なぜか東部のニューヨークタイムズまで崩御を伝え、葬儀には市民3万人が出席しました。

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後世への影響
2011年、日本の宝塚歌劇団が陛下を後世に伝えるべく、生涯を描いた「記者と皇帝」を上演する。

まとめ
なぜジョシュ・アーノルドは、皇帝などと突然言い出したのでしょうか。破産による喪失感から鬱病院になり、統合失調症になったと考えられています。それでも威厳たっぷりで控えめな態度に加え、公務と称する市内のパトロールを欠かさず、本気でサンフランシスコの治安や風紀、市民の暮らしを心配していたことから、人気者になったようです。

王族、皇族がいないアメリカだからこそ、起こった珍事です。