40代サラリーマンの日記

わたくし、40代のサラリーマンの日常を書いています。

それはムネオハウスから始まった そのとき音楽の楽しみ方が変わった

CDが売れない時代に入り、ボーカロイド(ボカロ)ブームがあり、ニコニコ動画の「歌ってみた」が流行って、音楽は聴く時代から自分で作る時代に入りました。これらのブームはひと段落しましたが、今後も聴くより作る方にシフトしていくことが予想されます。

この変化の契機はいくつか考えられますが、今回はその一つと考えられるムネオハウスについてです。

 

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ムネオハウスとは

2002年冬、自民党の大物政治家、鈴木宗男の利権疑惑追及の中で、
北方領土国後島に建設された「日本人とロシア人の友好の家」が、
鈴木宗男の尽力によって建てられ、地元ではムネオハウスと呼ばれていることを共産党の議員が指摘します。
語呂の良さからムネオハウスという言葉が、メディアを賑わせました。

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そんな中、2ちゃんねるで音楽を話題にしているテクノミュージックの板に
アシッドハウスムネオハウス」というスレッドが立てられます。
これが大ブームになりました。

 

ムネオハウス・ムーブメントの始まり

当初はダジャレで立てられたスレッドで、まったりとした会話が進行しましたが、
鈴木宗男の国会答弁の音声をサンプリングし、
音楽に合わせたものがアップロードされます。これで火がつきました。

次々にサンプリングした音楽がアップされて笑いを誘うと、
音楽に合わせた動画がflashで作成されます。当時はflash動画の全盛期で、
さらに大学生の春休みだったこともあり、腕に覚えのある人達が次々にflash動画が作成され、
板を超えて2ちゃんねる内でプームになりました。

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サンプリングは鈴木宗男にとどまらず秘書のムルアカ
証人喚問で鈴木宗男を追及した辻元清美の音声など、
関係者に次々に波及していきます。さらにはCDジャケットを作成する人も現れると、
人気の高い曲をアルバムとしてまとめて、専用のサイトに保管されていきました。


ムネオハウスがリアルの世界へ

公式サイトが作られ、そこにアルバムが保存され始めると、
それに目をつけた興行主が公式サイトにイベントを提案します。
そして2002年4月に、新宿ロフトで「ムネオハウス・パーティ」が開かれ、
ムネオハウスだけが流れる中で、一般男女が躍るカオスなイベントが成功に終わります。

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その後も「ムネオック・フェスティバル」「ムネオ・ヘブン」とイベントは続き、そして公式には無許可の「100%ムネオナイト」など、
いくつもイベントが開かれて一大ムーブメントに成長しました。この盛り上がりを受けて、鈴木宗男本人が「MCムネオ」としてイベントにも登場し、
もう何が何だかわからない状態になりました。

 

ムネオハウスが残したもの

ネットの中だけなら、暇人の悪ふざけで終わりですが、
リアルなイベントが成功したのが大きかったと思います。
素人が作った音楽が、人を集めて入場料を取れることができるとわかったのです。

そしてこれだけ大きな現象になると、
創作意欲を刺激された人も多かったはずです。そんな中で、
ボーカロイド初音ミクのブームは当然といえますし、YouTubeニコニコ動画などの発表の場が賑わうのも
当然だったと言えるでしょう。

 

かつてもあった、聴くから作るへの変化

50年代にロックンロールが芽吹いた頃、3人の黒人ミュージシャンが、
その中心にいました。チャック・ベリー、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノです。
この中で、商業的に最も成功したのはチャック・ベリーでした。

チャック・ベリーは、ギターを弾いて歌いましたが、他の2人はピアノを弾いて歌いました。
その後に登場するロックンロール最大のスーパースター、エルビス・プレスリーもギターを弾いて歌います。
専門家に習う必要があるピアノに比べ、ギターは独学で短期間に習得が可能です。
ロックンロールは、聴くから演奏することへと音楽の楽しみ方を変えました。

 

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そしてビートルズが登場すると、彼らは自分達で作詞作曲をしていました。
ビートルズに刺激を受けた人達は、自分で作詞作曲を行い、自分で演奏するようになります。
ロックンロールは、音楽の楽しみ方を聴くから演奏するへ、
そして曲を作ることに変えたのです。


インターネットはロックンロール以来の変革か

コンピュータの発達は、素人でも音楽を作りやすい環境に変えました。
そしてインターネットは、発表の場を安価に提供しています。
私はバンド仲間とレコーディングし、デモテープを作成して配ったことがありますが、
当時の手間と費用はインターネットによって劇的に手軽になりました。

そしてインターネットは、収益まで作り手にもたらすようになりました。
広告収入で一定の利益を上げている人もいますし、「千本桜」はネットで拡散して歌手が歌うようになったので、
使用料が払われているでしょう。カセットテープを手売りしていたインディーズ・バンドの時代からは、
考えられないほどの変化です。

今後も音楽を作るという楽しみ方は増えていくでしょう。
それが行き着く先がどうなるのかは、誰にもわかりません。