40代サラリーマンの日記

わたくし、40代のサラリーマンの日常を書いています。

なぜ福岡出身のミュージシャンが多いのか

福岡県出身の芸能人は多く、中でもミュージシャンは特に多いので、なぜ福岡ばかりがと言われることがあります。比較的最近の人だと、家入レオYUI浜崎あゆみ椎名林檎MISIA草野マサムネ(スピッツ)、ナンバーガール。少し遡ると徳永英明坂井泉水(ZARD)、チェッカーズ中村あゆみ陣内孝則、アップ・ビート、ルースターズ石橋凌(ARB)、ザ・モッズ、鮎川誠(シーナ&ロケッツ)。もう少し遡ると、井上陽水郷ひろみ武田鉄矢財津和夫(チューリップ)などなど、挙げだすとキリがありません。これにアイドルの松田聖子酒井法子篠田麻里子あたりまで加えだすと、とんでもない数になってしまいます。

そこで、よく質問される「なぜ福岡出身のミュージシャンが多いのか?」を考えてみたいと思います。
 

東京から遠い経済圏

九州最大の都市なので人が集まりやすく、福岡だけでミュージシャンが何とか食べていける環境があります。そのため福岡県以外の出身者が、福岡で音楽活動をしているケースもあります。その代表例が、鹿児島出身の長渕剛です。福岡の大学に進学し、ライブハウスやバーで歌っていました。
 
また80年代に人気を得たアンジーというバンドも、山口県出身ながら福岡で活動して人気バンドになりました。85年のロックイベント「天神解放地帯」のパフォーマンスや、東京でメジャーデビューが決まった時のビブレホールでのコンサートなどは伝説になっています。嘘か本当かわかりませんが、客がジャンプしすぎてビブレホールのコンクリートの梁にヒビが入ったなんて言われていました。
※アンジー
経済圏としてそれなりの規模があり、東京に行くには遠すぎるという地域性が、多くの人材を育てた一因かもしれません。
 

祭り好き

「山笠があるけん博多たい!」じゃないですが、基本的にお祭りが好きな人が多く、伝統的な祭りにこだわらずに人な集まって何かをやるのが好きです。そのため音楽イベントが多く開催されていて、そこを足がかりに知名度を上げる人が少なからずいます。
 
65年のエレキギター禁止令により、教育現場や公共の場所での排除が全国的に高まった時期も、なんだかんだで福岡ではイベントが開かれていたようです。高校生のコンテスト出場が禁止されていても、主催者のチェックは恐ろしく緩かったなんて話を聞いたことがあります。盛り上がる場所を求める県民性があるのでしょうか?
 
そのためか、ミュージシャンとしてのテクニック以上に「いかに観客を盛り上げるか」が問われる傾向があり、なんだかよくわからないけど活きの良いミュージシャンが多くいます。
 

福岡の音楽の聖地

多くのミュージシャンを輩出した「昭和」というライブハウスが有名です。財津和夫らのチューリップや武田鉄矢らの海援隊甲斐バンドやシーナ&ザ・ロケッツなども出演していました。アンドレ・カンドレの名前でデビューし、「カンドレ・マンドレ」というデビュー曲が不発した井上陽水も、一時福岡に戻って昭和で歌っていました。しかし福岡の聖地は昭和ばかりが有名ですが、他にも多くのライブハウスが名を刻みます。
陣内孝則らのザ・ロッカーズが出演していた「怒羅夢」(どらむ)、サンハウスが出演していた「ぱわぁはうす」、その他にも大名にあった「多摩」など、多くのライブハウスで後にスターとなるミュージシャンが出演していました。近年でも福岡市の西新にある「JA-JA」というライブハウスは、椎名林檎が長らく出演していたライブハウスとして、聖地巡礼が行われています。
 

マチュアなのに伝説の人たち

福岡のロックを語るとき、山部善次郎は外せません。通称、山善(YAMAZEN)はプロデビューしていないにも関わらず、福岡のロックシーンで中心的な役割を果たしつつ、還暦を過ぎた今でも音楽活動を続けています。1969年、15歳の時に感電して左目と鼻を失い、学生服に包帯だらけの姿で「昭和」のオーディションを受けて合格しています。徳間ジャパンからメジャーデビューの話があるものの、録音が気に入らずに断りをいれると、以降は自主製作の形をとりながら音楽活動を続けています。
※山部善次郎
アルバム制作のための融資を断られて銀行で暴れた、福岡大学でのライブで観客に石を投げつけて乱闘した、ヤクザと乱闘騒ぎを起こして事務所に監禁された、イギリスに旅行に行って強制送還された、イスラエルの空港でゴミをポイ捨てして掃除のオバちゃんにホウキで叩かれた、イスラエルの留置所に入れられ博多弁でケンカをしていた、などなどどこまでが本当かわからない伝説が数多く語り継がれています。そんな奇行とともに、博多のバンドマンたちの橋渡し的役割を果たしつつ、楽曲の提供なども行っていました。
 
またモダン・ドールズというバンドは、アマチュアなのに1000人クラスのホールのチケットが即完するほどの人気を誇り、東京ツアーも敢行して成功させています。東京ツアーの観客には氷室京介布袋寅泰の姿もあり、ボウイの音楽に大きな影響を与えたと言われています。福岡の情報誌「シティ情報ふくおか」に新曲のソノシートが付属されると、飛ぶように売れたというプロの人気を凌駕したバンドでした。このようにプロになっていないにも関わらず、伝説的なミュージシャンがいるのは福岡の強みであり、いかに音楽が街に浸透しているかということだと思います。
※モダン・ドールズ

まとめ

福岡は東京から離れていて、強烈な東京への憧れがあります。以前は、福岡で流行るものは昨年東京で流行ったものと言われるほど、鮮明な後追いが見られました。福岡のインテリアコーディネーターなどは、毎年のように東京を視察して東京の流行を福岡で再現していました。
 
しかし同時に固有の県民気質も強く、さらに県内での対抗意識があります。福岡と一括りにして書いてきましたが、福岡市と久留米市北九州市では全く違った文化圏が存在します。それら違った文化圏から、さまざまな個性が生まれています。
 
しかしそれら違った文化圏でも共通するお祭り好きの気質に、偉大な先人達の背中を見て育ったミュージシャン達が後に続いています。しかし本当のところで、これほど福岡で音楽が盛んな理由はわかりません。これからも個性的なミュージシャンが生まれることを楽しみにしています。