40代サラリーマンの日記

わたくし、40代のサラリーマンの日常を書いています。

最近流行のチェスターコートってなんだ? ウールのコートを考える

ここ数年、ファッション雑誌でやたら推されているチェスターコートというものがなんだかわかりません。「チェスターフィールドコートの略称」と書いてあるのですが、チェスターフィールドコートとは違う写真が掲載されています。何がなんだかわからなくなったので、このチェスターフィールドコートについてまとめてみたいと思います。

 

そもそもチェスターフィールドコートとは

19世紀イギリスのフィリップ・チェスターフィールド伯爵にちなんだ名前で、チェスターフィールド伯が考案したとか広めたとか言われています。ファッション誌の解説に「オンでもオフでも使える」と書いてあったりしますが、チェスターフィールドコートは最上級のフォーマルなコートです。

チェスターフィールド伯爵

国王や天皇に会いに行くような場面なら、間違いなくコートはチェスターフィールドコートです。燕尾服、モーニング、タキシードの上に羽織るコートとしては、チェスターフィールドコート以外は変化球になってしまいます。ですからオフで使うというのは、かなりの上級者でなければ難しいでしょう。

雑誌に載っているチェスターコートは何なのか?

雑誌やファッションサイトでよく見かけるチェスターコートは、例えばこんなコートです。

 

こんなのとか・・・
こんなのですね。


これはどちらとも、典型的なボックスコートと呼ばれるものです。シルエットが箱形で寸胴になっているのが特徴です。ゆったりとしていて脱いだり着たりするのが楽で、古くは御者が着ていたなんて話もあります。フォーマルなコートとはほど遠いんですね。

現在は、このボックスコートをチェスターコートと名付けて売られていることがほとんどです。これはトム・ブラウンが、ウールのコートをなんでもかんでもチェスターコートと呼んでコレクションを展開し始めてから、この名前が定着したように思います。

このボックスコートなら、写真のようにカジュアルで着ることも可能で、オンからオフまで幅広く使うことができます。あまりかしこまった感じにもならず、使い勝手が良いと思いますので、社会人なら一着あれば便利なコートですね。


これもチェスターコートと書かれていましたが、とてもカジュアルなパッチポケットになっています。フォーマルな場では使えません。

ではチェスターフィールドコートは?

シングルとダブルがあって、細かいディテールは時代とともに変化しています。例えば胸ポケットは時代によってあったりなかったりしますし、襟のベルベットもあったりなかったりします。着丈も時代によって、若干ですが変化していますね。


これが典型的なチェスターフィールドコートです。細かなディテールはさておき、腰のくびれが特徴です。後ろからみると、腰から肩胛骨にかけて立体的になっていて、ボックスコートとは全く異なる立体感があります。


長靴を履いて写っているのでフォーマル感がないですが、こちらはデイヴィス&サンチェスターフィールドコートです。こちらも腰のくびれや胸の立体感がわかると思います。ボックスコートは工場で作りやすい直線的なデザインですが、チェスターフィールドコートはオーダーメイドのスーツのように、人の体型に合わせたデザインになります。

ディテールとしては、シングルの場合は正面からボタンが見えない、比翼仕立てになるのが特徴です。ポケットはフラップポケットになっています。着丈が長いのも特徴で、膝より少し下ぐらいまであります。フォーマルなコートならば燕尾服やモーニングコートの上に着ることもあるので、それらが完全に隠れる長さでなければオーバーコートの役目を果たせないからです。

どこで買うか

ボックスコートは工場で作りやすい形状なので、既製品でも大丈夫だと思います。ちょっとかしこまった所に出かけることもあるなら、パッチポケットなどカジュアルすぎるディテールがないものを選べばいいでしょう。


チェスターフィールドコートは、既製品では体に合った立体感を実現するのは困難です。基本的にオーダーすることになるでしょうし、そもそも既製品で売っているのを見ることがほとんどありません。そのため安価な値段から買えるボックスコートとは異なり、オーダーはだいたい10万円ぐらいからになります。もちろん上を見たら、キリがない額になりますけどね。

どっちを選ぶか

両方持っていてもいいのですが、若い人ならボックスコートで十分だと思いますし、ワードローブが少ない中で使い回しができて良いと思います。セーターなどに合わせて休日に出かけたり、スーツに合わせて通勤したり、チャコールグレイやネイビーなどの色を選べば結婚式などにも出られます。

チェスターフィールドコートを着たロジャー・ムーア

式典などに出るような社会的地位がある人は、チェスターフィールドコートは持っておいた方が良いでしょう。特に燕尾服を着る可能性がある人は、用意しておくべきだと思います。またある程度年齢がいっている方なら、一着あっても良いと思います。どこに行っても恥ずかしくないコートなので、大人のたしなみとして持つのもありだと思います。

まとめ

防寒対策として考えると、ボックスコートだろうがチェスターフィールドコートだろうが、なんら関係ないと思います。しかし儀礼の場、式典など改まった場に出る時には、ボックスコートではなくチェスターフィールドコートだというのは覚えておいて損はないと思います。コートを選ぶときに、参考になれば幸いです。

椎名林檎の歌詞と音楽の世界

椎名林檎は不思議な歌手で、ポップシンガーと片付けるには重たい印象があります。歌謡曲テイストと洋楽のテイストが混在し、そこに文学的歌詞を乗せることで独自の世界観を持っています。その歌詞も曖昧でつかみどころがない部分があり、その掴みどころのない部分を、少し見ていきたいと思います。

衝撃的だった「歌舞伎町の女王」

この曲をラジオで聴いたとき、ピンキーとキラーズあたりの曲を誰かがカバーしたのだと思っていました。ザ・イエロー・モンキーのブレイクで、昭和歌謡テイストの曲がヒットする時代ではありましたが、あまりにもストレートに昭和歌謡をやっているのに驚いたのです。そして歌詞の文学性は、十代の女性が書いたものとは思えませんでした。
蝉の声を聞くたびに 目に浮かぶ九十九里浜
皺皺の祖母の手をはなれ 独りで訪れた歓楽街
 
最初のわずか2行、音楽にしても十数小節分で、歌の世界観を決定しています。これから歌われる部分の過去と未来までをも聞き手に想像させる2行で、見事としか言いようがありません。
 
「主人公は貧しい環境にいる」「田舎で素朴な少女時代を送った」「両親が離婚するか疎遠になっている」「少女は幸せではない」「これから主人公はきっと堕ちていく」などなど、一気にイメージが湧きあがります。
 
「歌舞伎町の女王」の歌詞が巧みなのは、冒頭の2行は場所が特定されてリアルな描写なのに、そこから抽象的な歌詞になり、最後の2行で再び場所が特定されてリアルな描写になることです。
 
JR新宿駅の東口を出たら
其処はあたしの庭 大遊技場歌舞伎町
 
最初の九十九里浜から新宿へと大きく場所が移動しているのに、その間の歌詞が抽象的なので、白昼夢でも見ていたかのような印象を与えています。歌舞伎町の女王と呼ばれるまでになったのが、現実の出来事なのか主人公の想像なのか曖昧になり、聴き手の想像をかき立てていくのです。
さらにその抽象的な部分には、男を頼ったがために「女王」から「女」に堕ちた母親を見る冷徹な視点ががあり、そのうえで
 
女になったあたしが売るのは自分だけで
同情を欲したときに全てを失うだろう
 
と、覚悟を決めた少女の姿が描かれています。リアルな描写にサンドイッチされた抽象性は、甘ったるいものではなく力強いものになっているのです。
 
繰り返しますが、この歌詞は十代の女性が書いたものです。この曲を始めて聴いた時の衝撃は、とんでもなく大きなものでした。
 

頭がクラクラした「無罪モラトリアム

過去の2曲とは全く異なる「ここでキスして」をリリースした時点で、全くつかみどころのない歌手になっていたのですが、これらを収録したアルバム「無罪モラトリアム」は、ごった煮的にさまざまなジャンルが放り込まれていました。しかしそれが不思議とまとまった印象を与えていて、この混沌とした印象こそ椎名林檎だと思い知らされました。
作曲の特徴としては、テンション・コードの使い方が挙げられます。つまりジャズ調の曲の作り方をしています。しかしメロディラインは歌謡曲で、歌い方は巻き舌とシャウトを多用したロックテイストです。意図的なのか無意識なのか、椎名林檎の曲の中には同時にいくつものテイストがあふれているのです。
 
曲のほとんどが、ヴォーカル以外を同時に演奏して録音する「一発録り」でレコーディングされているので、スタジオアルバムでありながら、ライブ感があるのも特徴です。
 
書き下ろしの曲はなく、アマチュア時代に自身のバンドで演奏していた曲を中心に構成されています。しかも流出したデモテープを聴くと、アマチュア時代とほぼ同じアレンジで録音されています。十代のアマチュアミュージシャンが、これほど幅広く網羅していたことに驚かされます。
 

「正しい街」の不安定感

無罪モラトリアム」の1曲目「正しい街」は、オープニングナンバーでありながら単調な曲ですが、不安な気持ちにさせられます。4分の4拍子の単調さの中で意図的に言葉と音楽をズラし、執拗に「ai」を入れることで不安定さを増しているからです。
 
不愉快な笑みを向け 長い沈黙の後 態度を更に悪くしたら
冷たいアスファルトに 顔を擦らせて 期待はずれのあたしを攻めた
 
という歌詞ですが、歌は言葉の切り方がズレています。
 
ふゆかい(ai)/なえみをむけながい(ai)/ちんもくのあとたい(ai)/どをさらにわるくしたら
つめ
たい(ai)/あすふぁるとにひたい(ai)/こすらせてきたい(ai)/ずれのあたしをせめた
 
日本語の切り方がズレているのに加え、aiを強調して歌っているのですが、ビートは小節の頭にきているので赤くした部分が演奏では強調されています。このように全てがバラバラなので、聴いていて不安感が増していくのだと思われます。
歌詞と歌い方のズレは、この後デビューする宇多田ヒカルにも見られますが、楽曲の使い方が全く違うので両者が似ることはありません。似ているのは両者とも歌詞を聴かせることよりも楽曲のタイム感を重視していることで、歌詞を聴かせるために演奏に乗せて歌う歌手とはアプローチが違う点です。
 

まだまだ続く

この不安定なごちゃ混ぜ感は、次作の「勝訴ストリップ」にも継承されていきます。私は椎名林檎の才能の開花はこの2作目のアルバムまでだと感じていて、その後の東京事変などはサウンド的にも格好良いのですが、それまでの椎名林檎を洗練させているに過ぎないと思います。
 
彼女の曲を解説していると、長々となってしまうので、他の曲はまた別に書きたいと思います。




F-35は欠陥機なのか? 日本の大量発注は茨の道かも

トランプ大統領はセールスの才能を発揮して、日本にF-35を売りつけることに成功しています。しかしF-35はいくつもの問題が発覚していて、しかも解決が難しい問題も含まれています。
※F35
 

F-35とは

アメリカのボーイング社が作ったステルス機です。プラット・アンド・ホイットニー社製の単発エンジンを搭載し、日本でも次期主力戦闘機(FX)として購入が進んでいます。
 
当初は国内でのライセンス生産どころか、ステルス性の機密を守るためにメンテナンスすらアメリカでさせないとしていましたが、製造の遅れや諸々の事情により、日本での生産や日本製部品の取り付け、メンテナンスが認められました。
 

マルチロール機という万能性

F-35はマルチロール機と言われます。つまり戦闘機と攻撃機の両方の性能を兼ね備えた機体なのです。
 
戦闘機:敵の航空機と空中戦を行う飛行機
攻撃機:敵地の地上施設を攻撃する飛行機
 
この両方を兼ね備えた飛行機は、汎用性が高い上にコスト削減になり、整備員の習熟も早まります。良いことずくめのように思えますが、なんでもできる代わりにどれも中途半端という意見が根強くあるのも事実です。
 
さらに空軍、海軍、海兵隊で運用するべく、それぞれの要望を取り入れたため、まさになんでもできる子になり、万能性に比例して機体が重くなってしまいました。エンジンを2機搭載したF-15より少し軽いだけなのに、F-35はエンジンを1機しか積んでいないのです。
 

プラット・アンド・ホイットニーの苦悩

エンジンメーカーのプラット・アンド・ホイットニーは、エンジンのパワー不足を指摘されて度々改良を重ねています。しかしエンジンが非力なのではなく機体が重すぎるのが根本的な原因なので、なかなか問題は解決しません。
※F35のエンジン
エンジンサイズを変えることなく、2倍の出力を得るような魔法は、なかなか実現しそうにないのが現状です。彼らにできることは、それほど多くないのです。
 

日本での生産は有名無実か?

石川島播磨重工(IHI)でF35のエンジンをライセンス生産することになっていますが、本家本元が上記のように改造に次ぐ改造で、何を作れば良いのかわからない状況で、さらに多くの部品に関して製造の契約が済んでいません。本体を作る三菱重工も似たような状況で、契約が済んでいない項目が大量にあります。
※日本に納入されたF35
アメリカは国家機密が流出することを恐れていて、さまざまな条件をつけてきているので、それが大きな障害になっています。日本からの情報流出が多いのは以前から有名な話なので、仕方ない面もあるのでしょう。しかし日本で製造やメンテナンスができないとなれば、防衛関連の下請業者への影響は必至で、倒産して外国企業に買収されて技術が流出する現状の悪化が予想されます。
 
もともとアメリカは製造もメンテナンスも、アメリカで行うことを希望していました。スパイ天国の日本でメンテナンスなんて、とんでもないと思っていたのです。ステルス性能に関する情報は、中国が欲しがっている情報のトップクラスに位置するのですから。
 

なぜ日本はF35を導入するのか

日本は専守防衛を義務付けられているため、どんなに危機的状況に置かれても、先に攻撃することができません。そのため相手が手を出したくないと思うような、強力な兵器でなければ隊員の安全を守れないのです。そのため空自は世界最強と言われたF22ラプターを希望しました。
 
しかしラプターが高価すぎてアメリカでも開発中止になると、その代替機であるF35を希望したのです。入札にはヨーロッパのユーロファイター・タイフーンも候補に上がりましたが、アメリカ以外から購入することはためらわれ、F35になりました。
※ユーロファイター タイフーン
余談ですが、空自の幕僚だった田母神氏はユーロファイターを強く推していたので、陥れられたという人もいます。
 

F35は役に立つの?

F16の設計者は全く役に立たないと、徹底的に批判しています。これほどの批判でなくとも、実用性に疑問を投げかける声は多く、なんとも頼りない気がしてしまいます。日本は次期主力戦闘機として大型発注をしていますが、これが日本の防衛と自衛官の安全に繋がることを祈るばかりです。
 
プラット・アンド・ホイットニーがエンジンの問題をある程度クリアし、次々に起こっているトラブルを解消されることができるのでしょうか。それが今最も重要な課題です。


なぜ福岡出身のミュージシャンが多いのか

福岡県出身の芸能人は多く、中でもミュージシャンは特に多いので、なぜ福岡ばかりがと言われることがあります。比較的最近の人だと、家入レオYUI浜崎あゆみ椎名林檎MISIA草野マサムネ(スピッツ)、ナンバーガール。少し遡ると徳永英明坂井泉水(ZARD)、チェッカーズ中村あゆみ陣内孝則、アップ・ビート、ルースターズ石橋凌(ARB)、ザ・モッズ、鮎川誠(シーナ&ロケッツ)。もう少し遡ると、井上陽水郷ひろみ武田鉄矢財津和夫(チューリップ)などなど、挙げだすとキリがありません。これにアイドルの松田聖子酒井法子篠田麻里子あたりまで加えだすと、とんでもない数になってしまいます。

そこで、よく質問される「なぜ福岡出身のミュージシャンが多いのか?」を考えてみたいと思います。
 

東京から遠い経済圏

九州最大の都市なので人が集まりやすく、福岡だけでミュージシャンが何とか食べていける環境があります。そのため福岡県以外の出身者が、福岡で音楽活動をしているケースもあります。その代表例が、鹿児島出身の長渕剛です。福岡の大学に進学し、ライブハウスやバーで歌っていました。
 
また80年代に人気を得たアンジーというバンドも、山口県出身ながら福岡で活動して人気バンドになりました。85年のロックイベント「天神解放地帯」のパフォーマンスや、東京でメジャーデビューが決まった時のビブレホールでのコンサートなどは伝説になっています。嘘か本当かわかりませんが、客がジャンプしすぎてビブレホールのコンクリートの梁にヒビが入ったなんて言われていました。
※アンジー
経済圏としてそれなりの規模があり、東京に行くには遠すぎるという地域性が、多くの人材を育てた一因かもしれません。
 

祭り好き

「山笠があるけん博多たい!」じゃないですが、基本的にお祭りが好きな人が多く、伝統的な祭りにこだわらずに人な集まって何かをやるのが好きです。そのため音楽イベントが多く開催されていて、そこを足がかりに知名度を上げる人が少なからずいます。
 
65年のエレキギター禁止令により、教育現場や公共の場所での排除が全国的に高まった時期も、なんだかんだで福岡ではイベントが開かれていたようです。高校生のコンテスト出場が禁止されていても、主催者のチェックは恐ろしく緩かったなんて話を聞いたことがあります。盛り上がる場所を求める県民性があるのでしょうか?
 
そのためか、ミュージシャンとしてのテクニック以上に「いかに観客を盛り上げるか」が問われる傾向があり、なんだかよくわからないけど活きの良いミュージシャンが多くいます。
 

福岡の音楽の聖地

多くのミュージシャンを輩出した「昭和」というライブハウスが有名です。財津和夫らのチューリップや武田鉄矢らの海援隊甲斐バンドやシーナ&ザ・ロケッツなども出演していました。アンドレ・カンドレの名前でデビューし、「カンドレ・マンドレ」というデビュー曲が不発した井上陽水も、一時福岡に戻って昭和で歌っていました。しかし福岡の聖地は昭和ばかりが有名ですが、他にも多くのライブハウスが名を刻みます。
陣内孝則らのザ・ロッカーズが出演していた「怒羅夢」(どらむ)、サンハウスが出演していた「ぱわぁはうす」、その他にも大名にあった「多摩」など、多くのライブハウスで後にスターとなるミュージシャンが出演していました。近年でも福岡市の西新にある「JA-JA」というライブハウスは、椎名林檎が長らく出演していたライブハウスとして、聖地巡礼が行われています。
 

マチュアなのに伝説の人たち

福岡のロックを語るとき、山部善次郎は外せません。通称、山善(YAMAZEN)はプロデビューしていないにも関わらず、福岡のロックシーンで中心的な役割を果たしつつ、還暦を過ぎた今でも音楽活動を続けています。1969年、15歳の時に感電して左目と鼻を失い、学生服に包帯だらけの姿で「昭和」のオーディションを受けて合格しています。徳間ジャパンからメジャーデビューの話があるものの、録音が気に入らずに断りをいれると、以降は自主製作の形をとりながら音楽活動を続けています。
※山部善次郎
アルバム制作のための融資を断られて銀行で暴れた、福岡大学でのライブで観客に石を投げつけて乱闘した、ヤクザと乱闘騒ぎを起こして事務所に監禁された、イギリスに旅行に行って強制送還された、イスラエルの空港でゴミをポイ捨てして掃除のオバちゃんにホウキで叩かれた、イスラエルの留置所に入れられ博多弁でケンカをしていた、などなどどこまでが本当かわからない伝説が数多く語り継がれています。そんな奇行とともに、博多のバンドマンたちの橋渡し的役割を果たしつつ、楽曲の提供なども行っていました。
 
またモダン・ドールズというバンドは、アマチュアなのに1000人クラスのホールのチケットが即完するほどの人気を誇り、東京ツアーも敢行して成功させています。東京ツアーの観客には氷室京介布袋寅泰の姿もあり、ボウイの音楽に大きな影響を与えたと言われています。福岡の情報誌「シティ情報ふくおか」に新曲のソノシートが付属されると、飛ぶように売れたというプロの人気を凌駕したバンドでした。このようにプロになっていないにも関わらず、伝説的なミュージシャンがいるのは福岡の強みであり、いかに音楽が街に浸透しているかということだと思います。
※モダン・ドールズ

まとめ

福岡は東京から離れていて、強烈な東京への憧れがあります。以前は、福岡で流行るものは昨年東京で流行ったものと言われるほど、鮮明な後追いが見られました。福岡のインテリアコーディネーターなどは、毎年のように東京を視察して東京の流行を福岡で再現していました。
 
しかし同時に固有の県民気質も強く、さらに県内での対抗意識があります。福岡と一括りにして書いてきましたが、福岡市と久留米市北九州市では全く違った文化圏が存在します。それら違った文化圏から、さまざまな個性が生まれています。
 
しかしそれら違った文化圏でも共通するお祭り好きの気質に、偉大な先人達の背中を見て育ったミュージシャン達が後に続いています。しかし本当のところで、これほど福岡で音楽が盛んな理由はわかりません。これからも個性的なミュージシャンが生まれることを楽しみにしています。

世界一まずいと言われるイギリス料理の世界

まずい料理と言えばイギリス料理、イギリス料理と言えばまずい。まずい料理の代名詞として世界的な評価を得ているイギリス料理ですが、どうしてそんなにまずいのか、理由を考えてみました。
 
 
「あの国の料理はまずい」と言われるとき、大抵の場合は現地の味付けが旅行者に合わないだけというのがあります。またロシアや北欧など、外食産業が発展していないため、旅行者が美味しい料理にありつけない国もあります。しかしイギリス料理は、イギリス人自身が「まずい」と話のネタにし、フィリップ殿下エリザベス女王の夫)も「イギリスの女性は料理ができない」と発言したこともあるほどです。
 
 

1.まずいと言われるイギリス料理の例

(1)フィッシュ&チップス
日本で売られているフィッシュ&チップスは美味しいのですが、イギリス人の基本として下味はつけません。ぶつ切りにした魚の身を衣で揚げただけです。臭みをとることもしないので、魚の種類によってはクセのある臭いで食べられないなんてことも・・・
※皿なんか使わずに、新聞紙で出すのが本場
 
(2)ハギス
羊の心臓や肺、肝臓などを茹でてミンチにし、ハーブやスパイスなどと混ぜた後に羊の胃袋に詰めた料理です。フランスのシラク大統領(当時)は、ドイツ首相と会談の際に「ハギスのような酷い料理を食べる連中は信用ならない」と発言し、これに対してイギリスの外相が「ハギスに関しては、シラク大統領の説はごもっとも」と返しています。口にするのも辛いという人もいます・・・
ウイスキーをかけつつ、ポテトと食べるとなかなかの味かも
 
(3)スターゲイジー・パイ
伝統的にニシンの一種、ピルチャードを使用したパイです。魚の頭部がつき出て上を見ていることから「星を見上げるパイ」と呼ばれています。漁師の大漁を願った漁師町の家庭料理なので、レシピは家ごとに違っています。そのため味もさまざまですが、見た目のインパクトで敬遠されます。
※見た目的にムリという人が多いですね。
 
(4)ウナギのゼリーよせ
かつてテムズ川にはウナギが多く住み、労働者の貴重な栄養源でした。ぶつ切りにしたウナギを茹でて、ゼリーを絡ませて食べます。臭みをとらない、下味はつけないというイギリス料理の基本が生きていて、ゼリー部分に臭みが集約されているようです。見た目の悪さだけでなく、冷えたウナギの脂が下に残る不快さと、口内に突き刺さるウナギの背骨、後を引く臭みで敬遠されています。
※これも見た目でムリな人が多いと思います。
 

 

2.美味しいと言われるイギリス料理の例

(1)イングリッシュ・ブレックファースト
薄いトースト、卵料理、ベーコンかソーセージ、トマトソースで煮たインゲン豆、ハッシュドポテトなどがつきます。「イギリスでは朝昼晩、朝食を食べた方が良い」という人もいるほどです。


(2)スコーン
イギリスのスコーンは、アメリカではビスケットと呼ばれ、日本のビスケットとも違うので何かと混乱しがちです。大麦や小麦を牛乳やバターで練って焼いたパンです。さまざまなトッピングや味付けのバリエーションがあり、イギリスの定番です。クロテッドクリームやジャムをつけて食べます。

 
(3)ミンスパイ
リンゴやドライフルーツを砂糖で煮詰めて、タルト生地で包んだパイです。元々クリスマス料理だったようですが、今では年中食べられるようです。

 
(4)スティッキー・トッフィー・プディング
ブラッド・ピットアンジェリーナ・ジョリー夫婦がイギリスで食べて感動し、あちこちで触れ回ったおかげですっかり世界的に有名になりました。そうそう「セックス・アンド・ザ・シティ」にも登場して、お洒落な食べ物の仲間入りをしましたね。温かいプディングを、冷たいバニラアイスと一緒に食べるのが美味しいそうです。
 

 

なんとなく見えてきたと思いますが、イギリスは料理がまずくてデザートが美味しいと言われる傾向にあります。
 

3.なぜイギリス料理はまずいのか

諸説ありますが、いくつかを見ていきましょう。
 
(1)宗教的な理由
個人的には、これが一番しっくりきます。イギリスはイングランド国教会という独自のキリスト教ですが、文化的にはプロテスタント寄りです。
プロテスタントといえばこの人、ルターですね。
 
プロテスタントの国・・・オランダ、ドイツ、アメリカなど
カトリックの国・・・フランス、イタリア、スペインなど
 
このように、料理が美味しい国とまずい国でキレイに分かれます(ドイツは美味しいイメージだが、食材の種類が少ないので美味しいのは最初の1週間だけ、なんて言われる)。
 
地中海に面しないアルプス以北の国々は、河川が少なく土地が痩せているので、まずい野菜に腐りかけた魚や肉を工夫して食べていました。文化の発展とともに食文化をはぐくみますが、質素を美徳とするプロテスタントは料理にも質素さを求めたといいます。オランダ人は、1週間ジャガイモだけを食べても気にしないなんて言われています。
 
プロテスタントの文化圏にあるイギリスも、同様に美味しい料理より質素なものを好んだというわけです。
 
(2)ジェントリー階級の教義
上記の宗教的理由に関連しますが、ピューリタン革命以降の新興貴族の誕生やジェントリー階級の登場は、彼らが新しい支配者層であることを国民に知らしめる必要がありました。彼らが身をもって示したことに中に「暴飲暴食は貧しい者の行為で、ジェントルマンは質素を美徳にする」というのがありました。また「美食に溺れるのは醜いこと」というのもあり、質素な食事こそが素晴らしいとしたわけです。
※ジェントリーはこういう人達です。不労所得で暮らし、郊外に住んでいます。
 
(3)イギリスの身分社会
下流階級の家の子供は、中流以上の家庭にお手伝いさんとして住み込みで働いていました。彼らは働く家で料理を学びますが、まだ子供の彼らに大人向けの本格的な料理の味は理解できませんでした。さらにお手伝いさんに任せっきりになったことで、お袋の味の継承も途絶えたといいます。
 
(4)フランスが嫌い
大陸に強いあこがれがあり、イギリスの貴族はフランスの料理人を雇うのがステータスでした。しかしナポレオンの台頭やイギリスの国力のアップなど様々な要因で、フランスとは敵対関係になります。これによりフランス料理や風習を嫌うようになり、フランス流の美味しい料理を楽しくワイワイ食べる行為も避けるようになったといいます。
 
(5)産業革命による食生活の変化
18世紀から始まった産業革命は、労働者を都市部の工場に集めました。そのため農業や酪農は減少し、それらは輸入に頼ることになります。それまで労働者は昼ご飯を家で食べていましたが、工場勤務になると工場で食べるようになります。家で食事を作って食べる文化から、食事を買って食べる文化に移行します。
 
この時、労働者に好まれたのが安くて腹一杯になるフィッシュ&チップスであり、少ない量で栄養価が高いウナギのゼリー寄せでした。過酷な労働環境下では美味しいことよりも、腹一杯になることや栄養がとれることが重視されたのです。
産業革命下の労働者の様子
 
(6)やせ我慢の文化
スーツの文化もそうですが、イギリスの紳士は上流階級であることを保持するために、やせ我慢をします。特に貴族の下に属するジェントリー層は顕著で、貴族がこれをしていると聞けば真似をしていました。食事もその一つで、上流階級の真似をして食べるという行為が重要で、味にはこだわらなかったといいます。
 
 
個人的には、宗教的な理由が一番しっくりきます。お金がない労働者だけでなく、裕福な上流階級の料理も等しく「味がしない」「味があるものは強すぎる」「調理に手間をかけない」というのは、金銭的な理由ではないと思うからです。
 
 

4.料理が不味いのにスイーツが充実しているわけ

宗教的な理由で、質素な食事を重んじた反動だと思われます。ティータイムにたっぷり時間を使い、美味しいお茶とスイーツを食べることで食の満足を得ていたのでしょう。イギリス人がティータイムにうるさいのも、美味しいものを味わえる唯一の時間だからかもしれません。
 
しかし大ざっぱさ、味付けのテキトーさというイギリスらしさもあり、店を選ばないと、木工用ボンドのようにカチコチのクリームがついた、ゴムまりのような固さのタルトも普通に売られているようで、注意が必要です。
 

5.まとめ

イギリス料理が不味いと言われるのは、さまざまな理由があります。それにイギリス人が独特のブラックユーモアで、自分たちの料理のまずさをジョークにしているため、広がったというのもあるでしょう。今や世界的にまずい料理の代名詞になっています。
 
かつてイギリスのロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズがアメリカ公演で訪米した際に、「ニューヨークにはろくな食べ物がないから、毎日フランスから料理を届けさせている」と発言し、ニューヨークの大衆紙が「イギリス人が不味いと言いだす料理を出しているのは、どこの店なんだ?」という記事を掲載しました。イギリス人が不味いなんて言い出したら、そこの料理はおしまいだというわけです。
 
しかし、中には美味しいイギリス料理もあるのも事実です。東京にも美味しいイギリス料理のお店があるので、ぜひ試して見てください。



狂気と熱狂が生み出した悲劇 ラリーが最も盛り上がった時代

現在の世界ラリー選手権(WRC)では、今年からトヨタが復活してフォード、ヒュンダイシトロエンと競い合っています。個人的にはラリーは面白くなくなった気がして見ていないのですが、かつては熱狂を生む狂気の祭典だった時代がありました。危険な香りがプンプンする、熱病のようにうなされた時代です。
 
 

WRCの開催

世界各地でバラバラに行われていたラリーが組織化され、1973年にWRCが始まりました。改造した市販車で公道を走るレースですが、12ヶ月間に400台以上製造された車が出場できました。つまりレース専用のスペシャルカーは、排除されたのです。
 
ところがイタリアのランチア社は、ランチアストラトスというラリー専用車を作り、無理やり400台製造してレースに出ると、あっという間に優勝をさらいました。ここから市販車でのレースだったラリーは、事実上スペシャルカーでのレースに変貌します。
※1974年に圧倒的強さでタイトルを獲ったランチアストラトス

グループBの制定

さまざまな自動車レースの規定が定められ、ラリーはグループBというカテゴリーの車だけが出場できるようになりました。200台以上製造した車が出場可能で、これまでよりも多くのメーカーが参加しやすくなりました。
 
1983年からグループBが施行されると、飛躍的な進化が始まります。そしてレース専用のスペシャルカーを公道で全速力で走らせるというレースに、人気も爆発しました。サーキットでスペシャルカーを走らせるグループAを遥かに凌ぎ、F1と並ぶ人気レースになっていきます。
 

4WDの出現

四輪駆動を意味する4WDは、工事車両などに使われる駆動方式でした。これをルノーが採用すると、悪路や公道を走るラリーでは大きな強みになりました。弱点は二輪駆動より重くなることで、各メーカーはエンジンのパワーアップにかかります。
 
アウディ・クワトロは4WDを備えた高出力を実現し、あっという間に王座に着きました。クワトロの出現は、もはや4WDでなければラリーを戦えないという状況を生み出します。
アウディ・クワトロ

魔改造の始まり

市販車ベースのはずのグループBですが、各メーカーは重いボディを軽くするため、ケプラー繊維やプラスチックを多用して市販車と同じ形のボディを作ってレースで使用しました。もはや見た目は市販車と同じだけど、中身は全く別物の車でレースが行われるようになります。
 
さらにF1でダウンフォースの効果が証明されると、グループBでもダウンフォースを得るためにウイングなどのエアロパーツがつけられるようになり、形状はもはや戦闘機のようになっていきました。
※暴走族ではありません。空力を計算してこのようなパーツがつけられました。

人間が制御できないマシン

魔改造の極致は、ランチア社が投入したデルタS4に行き着きます。車体をギリギリまで軽量化し、わずか890kgしかなく、エンジンはターボチャージャースーパーチャージャーを搭載することで600馬力を実現しました。現在ならNISMOスカイラインGT-Rのパワーはそのままにして、車重を半分にしたようなマシンです。
※怪物マシンと化したランチア・デルタS4
ランチア・チームの監督チェザーレ・フィオリオによれば、デルタS4の性能を使い切れたのはエースドライバーのヘンリ・トイヴォネンだけだと言いますが、トイヴォネンは
 
「コースにとどまるだけで精一杯。運転していて気が変になりそうだ」
 
と語っています。もはやグループBは、人が操れる限度を超えていました。現在ならハイテクにより、トラクションコントロールやアクティブサスペンションで車体を制御できるでしょう。しかし当時はハイテクどころかパワステすらない時代なのです。
※ヘンリ・トイヴォネン

安全性の問題

プラスチックやケプラー繊維のボディをハーフパイプで作ったフレームに乗せたグループBは、ドライバーの安全性が軽視されていました。安全性より速さが求められ、マシンはどんどん危険になっていきます。
 
さらに公道のコースには、ギャラリーが溢れていました。手に触れられるほどの距離で、モンスターのようなレースカーの疾走は強烈な快感をギャラリーに与え、大勢の人がコースに溢れるようになります。
※こういう光景が頻繁に見られました。
ドライバーは制御が困難なマシンのアクセルを全開にしつつ、人の間を縫うように走り抜けます。80年代半ばには、いつどこで大事故が起こってもおかしくない状況になっていました。
 

相次いだ事故

85年の第3戦で、ランチアが木に激突してドライバーが死亡する事故が起こりました。さらに第8戦ではプジョーに乗るアリ・バタネンが直線で大クラッシュを起こし、再起不能かとまで言われました。しかし相次ぐショッキングな事故にも関わらず、規制などはされませんでした。
 
86年に入ると、第3戦でフォードがコース上の観客を避けようとしてコントロールを失い、そのまま観客の列に突っ込んで3人が死亡、40名以上の重軽傷者を出す大惨事が起こりました。各メーカーは主催者側が観客を整理できていなかったために起きた事故として、主催者に改善を求めました。
 
しかし問題なのは、コントロールできないほど異常なパワーを持ったマシンにもあることは明らかでした。それでもメーカーが過激な競争を続けたのは、熱狂するファンの後押しがあったからです。観客は命の危険を顧みずにコースに押し寄せ、可能な限り近くでマシンが走り去るのを見ようとしました。
 
そして第5戦で、ランチア・デルタS4に乗るヘンリ・トイヴォネンがコーナーでコースアウトし、崖から落ちて死亡しました。これを受けてFISAは、わずか2日の会議でグループBの廃止を決めました。こうしてグループBは歴史から姿を消しました。
※トイヴォネンのランチア・デルタは、フレームを除いて全て焼けました。

まとめ

メーカーとドライバーが速さを求め、その姿に観客が酔うのがレースですが、過激すぎて安全性に対する配慮が少なすぎていたようです。WRCはレギュレーションを変えながら現在に至りますが、グループBの時代ほどの人気を得ることはできていません。
 
速さは麻薬で、どんなに危険を犯しても手に入れたい衝動がつきまとうようです。当時の映像を見ても、左右に揺れながら走るマシンは明らかにパワーを持て余していて、ゾッとする迫力で走っています。この後、道無き道を走り、怪我人と死者を出しながら大陸を縦断するパリ・ダカール・ラリーが人気を博しますが、ラリーは危険な匂いが強いほど人を惹きつけるのかもしれません。


バブアー・オイルドジャケットの臭いとベタつき問題を考える

英国王室御用達のアウトドアジャケットとして、バブアーの人気が復活してきています。街中でも着用している人を見かけることが増えました。しかしこのジャケットは、独特の臭いとベタつきから「街中で着てはいけない」「電車に乗る時に着てはいけない」など、さまざまなことを言われています。
※バブアーを着る女性達。左:ダイアナ元妃、中:キャサリン妃 右;メーガン・マークル(モデル)
 

バブアーとは

1870年にスコットランドのジョン・バブアーが始めたブランドで、コットンにオイルを塗り込んだオイルド・コットンと呼ばれる生地が特徴です。このオイルによって雨風を通さず、イギリスの代表的なアウトドア・ブランドになりました。ロイヤルワラント(王室御用達)をエリザベス女王、フィリップ殿下、チャールズ王太子の3人から授かっている由緒正しいブランドでもあります。

バブアーは臭い

かつてのバブアーは、古くなったクレヨンのような臭いがあり、密閉された車などに置いておくと嫌な臭いが充満していました。イギリス人は気にならないかもしれませんが、日本人には大変不評でした。
 
しかし近年のオイルは臭いが軽減され、よほど臭いに敏感な人でなければ、さほど気にならないレベルになっています。しかし、それでもネットには「たまらなく臭い」といった声が聞かれます。これはおそらくカビの臭いです。
 
綿にオイルを塗り込み、そこに汚れや汗がつくのですから、格好のカビの温床になります。ツンとする臭いがすれば、それはほぼ間違いなくカビが発生していると思われます。古着で買うと、大抵カビの臭いがしますね。
※バブアーの専用ワックス

バブアーはベタつく

オイルは徐々に抜けていくので、ベタつくどころかカサカサになっていきます。新品のバブアーはベタつくというより、しっとりした感触です。布のソファに長時間座ればオイルが移るかもしれませんが、短時間でオイルが移るとは考えにくく、「電車に乗るのは非常識」といっか書き込みも見かけますが、これは大げさだと思います。
 
しかしリプルーフ(自分でオイルを塗布する)した直後はヌラヌラベタベタで、次の日に着て出かけるのはためらわれます。数日間すればこのベタベタは落ち着くので、リプルーフはシーズンオフにやっておきましょう。
※カサカサでボロボロのバブアー

大事に着るものではない

「汚れたのでブラッシングした」「焚き火をする時は、火の粉で穴が空きそうで脱いだ」「クローゼットに保管する時は、カバーを掛けた」などなど、それなりのお値段のモノなので、大事に扱っている人の声をよく聞きます。しかしバブアーはシルクのコートではありません。
 
汚れたら雑巾で拭けばいいのです。穴が空いたら、当て布で補修すればいいんです。暑くなったら、土の上にでも放り投げればいいですし、クローゼットで保管するようなものでもありません。納屋や駐車場に釘でも打って引っ掛けておくぐらいで丁度よく、ハンガーに掛ける必要もありません。ある程度、雑に扱えるのが魅力なんです。
ナタリー・ポートマンだって、映画の中で汚しています。

メンテナンス

ノーメンテナンスで大丈夫です。汚れがついたら、固く絞った雑巾で拭き取るだけです。クローゼットに入れるよりも、風通しの良い場所があれば、そちらの方がカビの防止になります。
 
酷い汚れがついた時
クリーニングは受け付けてもらえません。専門のクリーニング店があるので、どうしても出すならそちらです。
 
汚れはオイルの上に付くので、オイルを落とすことができれば、汚れはオイルと一緒に落ちます。ですからオイルを十分に染み込ませてあれば、濡れた雑巾で丁寧に拭くことで汚れを落とすことができます。ただし冷え切った状態ではオイルが硬化するので、夏場にぬるま湯につけて絞った雑巾を使うと良いでしょう。

冬場なら、お風呂など温かい部屋で行うことをお勧めします。私のバブアーは、工事現場で右の袖にべったりとペンキがついたことがあります。そこでガスファンヒーターの近くで、絞った雑巾を使って根気よく拭いてペンキをオイルごと落としました。

こういうこともあるので、私は年に1回ぐらいのペースでリプルーフして、十分にオイルを含ませるようにしています。

おススメしない方法(自己責任で)
あまりに汚い場合、例えば古着で買ってきて汚れやカビの臭いが酷い場合などの時に、洗濯機を使います。洗剤は使わず、常温の水のみを使用します。

オイルが完全に抜けると、コットン生地は薄手なうえにダメージを受けているので、脱水の時に破れる可能性が高まります。ですから半分ぐらいオイルが抜けるように、水だけで洗うのです。

脱水が終わると、すぐに広げて全体を触ってみます。もしかしたら、肌をこすって垢が浮いたような感じで、汚れが浮いているかもしれません。その部分は、絞った雑巾で丁寧に汚れを落としましょう。

洗濯機を使うのは、メーカーは推奨していません。自己責任でお願いします。

業者に任せると、新品のようにムラなく綺麗にリプルーフしてくれます。しかし私はムラがあった方が、使い込んだアジが出ると思っているので、必ず自分で行なっています。

一番適した時期は、真夏です。生地が暖かく、オイルの伸びが良いからです。寒い時に行うと、オイルが塗った瞬間に硬化して、上手く塗れません。

やり方は下の動画を見ればわかりますが、最初に雑巾で丁寧に汚れを落とした方が、キレイに仕上がります。あとは根気よく塗り続けるだけです。真夏にやると、汗だくになるので覚悟して下さい。

中にはオイルを湯煎で溶かさずに、個体のまま豚毛ブラシで塗る猛者もいます。こちらの方が少量のオイルで均一に塗ることができるといいます。そのうち私も試してみようと思っています。

破れた時
バブアーの公式の修理があります。同じ色のオイルドコットンを当てて、穴を塞ぐだけの修理です。修理した跡が目立つので嫌がる人もいますが、これがイギリス流の格好良さです。ツギハギだらけになり、長年使い込んだ方が格好良いとされているのです。
※修理でつぎはぎだらけのチャールズ王太子のバブアー
修理の依頼先:(株)ラヴァレックス

臭いとベタつき問題

風通しを良くしておけばカビを防げるので、臭さはそれほどないと思います。ベタつきもある程度オイルが抜ければ、それほど気にならなくなります。なれたらリプルーフの時に、オイルの具合をある程度は調整できるようになります。

あまり神経質にならず、ザックリと使ってやればいいでしょう。
※スーツにもとてもマッチします。

まとめ

バブアーはレインコートです。その下に着る服を雨や汚れから守るためのものなので、バブアーは濡れたり汚れたりしても良いのです。変に大事にし過ぎず、使い倒しましょう。

防水素材としては、ゴアテックスなど遥かに優れたものがあります。しかしオイルを塗るだけで防水性能を復活させ、汚れようが破れようが御構いなしで着倒せるバブアーは、独特の味わいがあります。

購入を考えている人は、臭いやベタつきを過度に気にすることはないと思います。持っている人はジャンジャン使って、濡らして汚して長く使っていきましょう!